ブギウギ村山トミのモデルネタバレ!吉本興業創業者でわろてんかヒロイン! | 毎日がエブリデイ!

ブギウギ村山トミのモデルネタバレ!吉本興業創業者でわろてんかヒロイン!

ブギウギ村山トミのモデルネタバレ!吉本興業創業者でわろてんかヒロイン! ドラマ
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朝ドラ『ブギウギ』でヒロイン・スズ子の最愛の人、村山愛助。

村山愛助の母親として村山トミが登場しますが、この村山トミの実在モデルとなっているのはだれでしょうか?

 

この記事では、

  • 『ブギウギ』に出てくる村山愛助の母・村山トミのモデルはだれ?
  • 村山トミのモデルはあのお笑い王国『吉本興業』の創業者だった!?
  • 紆余曲折の人生を描いた朝ドラ『わろてんか』のモデルにもなっていた人物。

について、調査しました。

 

また、『ブギウギ』ヒロイン・スズ子のモデルとなった笠置シズ子とは、どんな関係を築いていったか気になりますよね。

嫁・姑の関係にあたる二人。

最初から順調とはいかなかったようですが、ある出来事をさかいに関係に変化がみえ始めて…。

 

朝ドラ『ブギウギ』のネタバレ注意!!

この記事を読めば、もっと『ブギウギ』が楽しめますよ~。

 

ブギウギ村山トミのモデルは誰?

『ブギウギ』のヒロイン・スズ子の最愛の人、村山愛助。その母親として登場するのが村山トミです。

村山興業の御曹司・村山愛助のモデルとなったのは吉本穎右と言われています。

なので、吉本穎右の母親である吉本せいがブギウギの村山トミのモデルと考えられます。

 

では、ブギウギの村山トミのモデルである吉本せいは一体どんな人物だったのでしょうか。

吉本せいは吉本興業の創業者!

朝ドラ『ブギウギ』の村山トミのモデルとなった、吉本せいについて調べていきましょう。

 

吉本せいは1889年に兵庫の米問屋で生まれました。吉本せいは三女ながら、後継ぎ候補となるほどの商才を持っていたと言われています。

 

20歳の時に大阪の『箸吉』という問屋を経営していた吉本吉兵衛と結婚し、吉本せいは2男6女の母となりました。

吉本せいの夫である吉兵衛は、遊び人であり、大変苦労したそうです。

 

  • 1912年/『箸吉』が廃業となり、夫にそんなに芸事が好きならと、吉本興業の前身となる寄席「第二文芸館」で、寄席経営の第一歩を踏み出しました。
  • 吉本せいの商才が発揮され、入場料を安くしたり、いち早くラジオで宣伝を行い、吉本興業は多くの寄席を買収していきました。
  • 1924年/夫の吉兵衛が38才の若さで急逝したあとも、実弟である林正之助と林弘高と共に吉本興業の活躍は日本全国まで広がりました。
  • 1928年/吉本せいは社会貢献が認められ、紺綬褒章を授与されました。
  • 1948年/吉本興業部は吉本興業株式会社となり、吉本せいの弟、林正之助が社長に就任します。
  • 同年/吉本せいは吉本興業の会長となり、一線から退くこととなります。

 

今の吉本興業の基礎を作り上げるのは並大抵のことではなかったと思います。

吉本せいは激動の時代を生き抜いた強い女性ですね。

吉本せいはどんな人?

ブギウギ・村山トミのモデルである吉本せいは、吉本興業の礎を築き上げた女傑と言われています。

 

現在まで続く『吉本興業』の創業者だけあって、吉本せいには実業家のエピソードがたくさんあります。

吉本せいは興行主であるにも関わらず、芸人たちの身支度や客席の整理も積極的に行いました。

芸人たちから吉本せいはおせいさん』と呼ばれ慕われていました。

芸人たちは吉本せいのために芸を磨いて恩返ししようと、さらにお客さんを呼べる芸人に成長しました。

 

夫・吉兵衛に怒られている芸人にはそっとお金を手に握らせ、芸人に寄り添いました。

また、当時サラリーマンの月給が40円の時代に、500円のお給料をもらっていた芸人も所属していたそう。

吉本せいは気前がいいとなれば、芸人の間でも話題になります。

こうしてお客さんを呼べる芸人がどんどん吉本せいのところに集まり、寄席は大人気になりました。

 

夫・吉兵衛がむち、吉本せいがあめとなって芸人といい人間関係ができていたそうです。

 

吉本せいは落語が中心となっていた寄席に、物真似や曲芸などさまざまな芸を取り入れました。

そして全く新しいスタイルである『漫才』を始めました。

吉本せいが新しく始めた漫才は大ヒット!吉本せいには先見の明があったということですね。

 

時代を先取りする商売上手な実業家だった吉本せい。

吉本せいは芸人たちに信頼されていたのですね。

 

吉本せいの画像はある?

ブギウギの村山トミのモデルの吉本せいさんの写真は、吉本興業のホームページ・吉本興業ヒストリーのところで見ることができます。

 

また、Wikipediaの吉本せいのページには、晩年の吉本せいの写真を見ることができます。

 

創業者として厳しい側面を持っていたとしても、吉本せいからは優しい雰囲気が感じられますね。

数多くの芸人がついていったのもうなずけます。

 

吉本せいは朝ドラわろてんかのモデルだった!

朝ドラの第93代目の作品『わろてんか』のヒロインは吉本せいがモデルとなった作品です。

『わろてんか』は大阪を舞台として、ヒロインが女興行師と呼ばれるまでの吉本せいの半生を描いた作品です。

 

わろてんかのほかにも、ブギウギ村山トミのモデルである吉本せいをモデルにした作品がたくさんあります。

  • 【小説】山崎豊子『花のれん』1958年
  • 【映画】東宝映画『花のれん』1959年
  •     松竹『横堀川』1966年
  • 【舞台】大阪松竹座公演『笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜』2016年
  • 【テレビドラマ】朝ドラ『心はいつもラムネ色』1984年 – 1985年

引用:Wikipedia 吉本せい一部抜粋

 

時代を超えて今も語り継がれる吉本せいは、魅力的な人物であったということですね。

ブギウギでは村山トミがどのように描かれるのか気になります!

 

吉本せいと笠置シヅ子のリアルな関係は?

息子の吉本穎右と笠置シズ子との交際がわかったとき、母である吉本せいは二人の結婚に反対していました。

結婚を認めてもらえるように笠置シズ子は芸能界引退を決意し、吉本穎右は大学を中退して吉本興業に入社しました。

 

その後、笠置シズ子の妊娠がわかった後は吉本せいは態度を軟化させたそうです。

息子・吉本穎右が亡くなった後、吉本せいが笠置シズ子と会った時には

「穎右がこの世に残していった一番大きな置き土産だすよって、大事にしていっておくんなはれ。」

と声をかけたといいます。

 

また、吉本せいと笠置シズ子は同じ業界人であることや夫に先立たれたことなど共通点があります。

笠置シズ子が仕事をしながら子供を育てる大変さを同じ経験をした吉本せいはわかっていたと思います。

 

その後の吉本せいと笠置シズ子のエピソードは見つかりませんでしたが、陰ながら笠置シズ子を応援していたのではないでしょうか。

 

 

なぜなら吉本興業創業者・吉本せいの唯一の孫でありながら、笠置シズ子の子が吉本興業の跡取り問題に巻き込まれることもなかったからです。

もしかしたらそこには吉本せいの計らいがあったのかもしれません。

ブギウギ村山トミのモデルネタバレ!吉本興業創業者でわろてんかヒロイン!のまとめ

さて、今回はブギウギ村山トミのモデルネタバレ!吉本興業創業者でわろてんかヒロイン!についてまとめてみました。

  • ブギウギ村山愛助のモデルとなったのは吉本穎右。その母親、村山トミのモデルは、吉本せい。
  • 吉本せいは吉本興業の創業者で、芸人たちからとても慕われていました。
  • ブギウギの村山トミのモデルであった吉本せいは紺綬褒章を授与されました。
  • 吉本せいは朝ドラ『わろてんか』のモデルでもあり、映画等、多くの作品のモデルとなっています。
  • 吉本穎右と笠置シズ子の結婚に初めは反対していた吉本せいだったが、笠置シズ子の妊娠をきっかけに態度を軟化したそう。

朝ドラ『ブギウギ』村山トミのモデルである吉本せいは強く素敵な女性ですね。

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