ものまね番組での辛口審査員のイメージの強い淡谷のり子さんですが、毎回歯に衣着せぬ物言いでバッサリと審査していく淡谷のり子さんの姿は爽快でしたよね。
そんなキッパリした性格の淡谷のり子さんですが、結婚はせず生涯独身だったのでしょうか。
淡谷のり子さんの娘だと噂されている秋元順子さんは、本当に淡谷のり子さんの子供なのでしょうか。
さらに同じ昭和のスターである笠置シヅ子さんと淡谷のり子さんは犬猿の仲だったという話は本当なのでしょうか。
この記事では
- 淡谷のり子さんの若い頃はすごかった?
- 淡谷のり子さんは結婚していた?
- 淡谷のり子さんの夫や子供は誰?
- 淡谷のり子さんの娘は秋元順子さんて本当?
- 淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんは仲良しだったの?
などについて調査しました。

淡谷のり子さんの夫のことや経歴、どのようにその生涯を閉じたのか、淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんの子供とのエピソードも紹介したいと思います。
目次
淡谷のり子は結婚してた?
淡谷のり子先生好き。 pic.twitter.com/bCiJhi8ojo
— Eveoftha (@eveoftha) November 28, 2023
淡谷のり子さんは結婚していました。
淡谷のり子さんの婚姻生活は4年です。
淡谷のり子さんは離婚後は一度も再婚することはなく、淡谷のり子さんは独身を貫き生涯を終えました。
淡谷のり子の結婚してた夫は誰?
和田肇 pic.twitter.com/4JyZsg2hdj
— 北河忠昭@服部蓄音機イベント1/21 2/10 (@anakuro69) February 13, 2018
淡谷のり子さんの結婚していた夫はジャズピアニストの和田肇さんです。
当時の音楽学校出身者には珍しい淡谷のり子さんのリズム感は、淡谷のり子さんが和田肇さんから得たものであろうと言われています。

淡谷のり子さんと和田肇さんは、公私共にパートナーとして素敵な時間を過ごされたんでしょうね。
淡谷のり子の子供は秋元順子?
淡谷のり子さんには子供がひとりいます。
淡谷のり子さんには娘がひとりいるそうですが、娘の父親は中国で死んでしまったと淡谷のり子さんが語っていたそうです。
2008年1月23日 愛のままで♪秋元順子 pic.twitter.com/39PBnHlB58
— 癒しの香り (@Q8kmmJoMe6jqH3z) February 4, 2023
淡谷のり子さんの娘は秋元順子さんではないかとの噂がありますが、秋元順子さんと淡谷のり子さんに関係はなく、秋元順子さんは淡谷のり子さんの娘ではありません。
淡谷のり子さんに顔立ちや雰囲気が似ているために、秋元順子さんが淡谷のり子さんの実の子供では?と思われたようです。
淡谷のり子さんは、子供もその父親も公開していません。

淡谷のり子さんの子供や父親のことに関して、最後まで沈黙を貫いた淡谷のり子さんもかっこいいですね。
淡谷のり子の若い頃が凄い!
上品なイメージのある淡谷のり子さんですが、若い頃に淡谷のり子さんはヌードモデルをやったり、在籍中に禁止されている歌謡曲を歌って淡谷のり子さんは除籍処分にされたそうです。

淡谷のり子さんはとても破天荒な方だったのでしょうか?
ですが、淡谷のり子さんがヌードモデルになったのも歌謡曲を歌ったのも家計が苦しくなり、淡谷のり子さんが母や妹を生活させていくためでした。

淡谷のり子さんは家族思いで行動力のある方だったんですね。
淡谷のり子さんが戦時中に日本軍の慰問を行った際も、淡谷のり子さんは派手な化粧とドレス、当時禁止されていたパーマをかけて活動していたそうです。
せっかく兵隊さんたちが夢を求めているのに、汚いもんぺをはいて化粧もしないで別れのブルースを歌うことなんてできない!との淡谷のり子さんの思いからだったそうです。
淡谷のり子が慰問に行った先に、白鉢巻の子供たちがいる。「彼らは?」と係の人に聞くと「特攻隊です」と言う。
「平均16歳、メーデーが出たら飛びます。帰ってきません。歌の最中にいなくなっても悪く思わないで」
しかし歌の最中にメーデー。笑顔で敬礼して行く彼らを見て、泣けて歌えなくなった。 pic.twitter.com/KcTgklkQFj— さすらいのカナブン (@sasurai_K1) August 22, 2022
淡谷のり子さんは当時憲兵と言い争いをしたり、始末書を書かされても信念を曲げずに淡谷のり子さんは活動し続けていました。
淡谷のり子さんは出撃する兵士たちや捕虜の心に寄り添える心の優しい強い人だというのがわかるエピソードです。

淡谷のり子さんは疲弊した兵士たちに夢のような時間を与えていたのでしょうね。
#Nowplaying 忘れられないブルース – 淡谷のり子
昭和35年の紅白歌合戦で歌われた、淡谷のり子東芝専属時代の名曲。この歌に限らず、円熟期の東芝時代は名唱名演名曲のオンパレード。もっと復刻されて欲しい。 pic.twitter.com/hHTH2gZaO0— 函館のシト (@hakodatenoshito) September 17, 2022
淡谷のり子さんは第4回NHK紅白歌合戦に紅組として初めて出場したときに、紅組のトリも淡谷のり子さんが務めました。
紅白歌合戦において、2023年現在でも初出場でトリを務めた歌手は淡谷のり子さんのみだそうです。

淡谷のり子さんの若い頃はエネルギッシュで活動的な、とても凄い人だったのですね!
淡谷のり子の経歴
淡谷先生 pic.twitter.com/Ghi8NjhDz1
— ゆきパパ (@yukipapa_ran) November 13, 2023
ここでは淡谷のり子さんの経歴を見ていきたいと思います。
- 1907年:青森県青森市に生まれる
- 1929年:東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科を首席で卒業
- 同年4月:オール日本新人演奏会に出場し十年に一度のソプラノと称賛される
- 1931年:「ドニャ・マリキータ」という曲で日本におけるシャンソンの先駆者となる
- 1937年:100万枚超えのヒットとなる「別れのブルース」が発売
- 1953年:「第4回HNK紅白歌合戦」に紅組初出場・紅組トリを務める
- 1971年:第13回日本レコード大賞特別賞を受賞
- 1972年:紫綬褒章を受賞
- 1980年代ー1990年代:ものまね王座決定戦(フジテレビ)の審査員を務める
- 1992年:85歳という現役歌手における最高齢で新曲を発表
- 1993年:脳こうそくで倒れ、以後メディアへの露出はなくなる
- 1999年:死去。享年92。

ものまね番組に出ている淡谷のり子さんは厳しいおばあさんという印象でしたが、淡谷のり子さんはとてつもなく凄い経歴を持った女性だったんですね。
淡谷のり子と笠置シヅ子は仲良しだった?
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\\『笠置シヅ子の世界 ~東京ブギウギ~』
『淡谷のり子の世界 ~別れのブルース~』収録内容等の詳細は
〈笠置シヅ子特設サイト〉をご覧下さい
♀️https://t.co/Od8QxNAlt5#笠置シヅ子 #淡谷のり子#ブギウギ pic.twitter.com/MzUVqqpWhQ— 笠置シヅ子とブギウギの時代 (@kasagi_boogie) July 18, 2023
笠置シヅ子さんといえば、淡谷のり子さんと共に昭和を代表する人気歌手です。
淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんはどのような関係だったのでしょうか。
淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんは友人でありながらライバルであったと言われています。
淡谷のり子さんの舞台上で静かに佇み明朗に歌い上げるスタイルとは逆に、笠置シヅ子さんは舞台上で踊りながら、観客も巻き込んで盛り上げるという淡谷のり子さんとは真逆のスタイルでした。

そのため、淡谷のり子さんは笠置シヅ子さんのスタイルを批判することもあったそうです。
ですが淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんはお互いに仲が悪いわけではなく、淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんの家を行き来するほどの仲だったとか。
淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんはお互いシングルマザーだったという点で共感する部分も多かったのかもしれませんね。
驚いたことに「大空の弟」という服部良一=笠置シヅ子の幻の曲が、この舞台で戦後初めて封印を解かれ、陽の目を見ている。軍歌調でありながら、哀しみとレジスタンスが込められた表現に感動した。服部良一が、まさに笠置シヅ子の為に書き下ろしたとしか言いようのない曲であることにも唸らされた。 pic.twitter.com/PFHb3TMGZE
— 岩下 和了 (@shinshoga) November 28, 2019
淡谷のり子さんは笠置シヅ子さんの一人娘のエイ子さんに「お母さんに感謝しなさい」と淡谷のり子さんが助言したこともあるのだとか。

笠置シヅ子さんと淡谷のり子さんは同じシングルマザーとしてお互いに支え合える存在だったのかもしれませんね。
淡谷のり子の死因は?
淡谷のり子のこのCMを覚えているのは私の世代がギリギリかなあ。
「たいしたたまげた」(津軽三年味噌)、「歌は心、お掃除はルックでしょ」(ライオンルック)
#ブギウギ #朝ドラ pic.twitter.com/vEiExl9hVK— (喪中) ヘルベルト•フォン•スダヤン (@suda_yan) November 13, 2023
淡谷のり子さんの死因は老衰です。
淡谷のり子さんは1993年に脳こうそくで倒れた後、3年後の1996年には淡谷のり子さんはほとんど寝たきりで過ごし、1999年に淡谷のり子さんは老衰で死去しました。
淡谷のり子「アディウ」
Victor時代に録音したこのシャンソンが最高に好きです。
のりちゃんが品のある声で悲しく、けなげに歌い上げます。
実は原曲はカンツォーネだそうです。
淡谷のり子が紅白初出演で、いきなりトリを務め、歌ったのが「アディウ(さよなら)」ってなんか粋じゃないですか。 pic.twitter.com/h2s6c1pqzV— AIKI (@SHIBA_AIKI) February 18, 2018
淡谷のり子さんは85歳で新曲を発表したりとアクティブに歌手活動を続けていましたが、淡谷のり子さんは脳こうそくで倒れた後に軽度の言語障害や手足の麻痺が残りました。
さらに淡谷のり子さんは自身のライブ音声の録音を聞き、「これでは人様に聞かせられない」と淡谷のり子さんは一線を退く覚悟を決めたそうです。

生涯歌手としてプライドを持って生きた淡谷のり子さんらしいエピソードですね。
淡谷のり子の結婚した夫は誰で子供は?若い頃は笠置シヅ子と仲良しだった?のまとめ
淡谷のり子の結婚した夫は誰で子供は?若い頃は笠置シヅ子と仲良しだった?をまとめました。
- 淡谷のり子さんの結婚してた夫は和田肇さんであり、離婚後は生涯において独身である
- 淡谷のり子さんの娘は秋元順子さんではない
- 淡谷のり子さんは子供やその父親は公開していない
- 淡谷のり子さんは十年に一度のソプラノと称賛された
- 淡谷のり子さんはNHK紅白歌合戦に紅組初出場で初トリをまかされた唯一の歌手
- 淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんの関係は友人でありライバル
- 淡谷のり子さんの死因は老衰
激動の時代を歌手として生きた淡谷のり子さんは強くて優しい素晴らしい女性だったようですね。