笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバかった!不仲や対立の真相とは?

笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバかった!不仲や対立の真相とは? 有名人、著名人
この記事には広告が含まれています。
この記事には広告が含まれています。
スポンサーリンク

朝ドラ「ブギウギ」のモデルとなっている笠置シヅ子さん。

笠置シヅ子さんはブギの女王として大人気でしたが、後から現れた美空ひばりさんとは関係がヤバかったと言われていたそうです。

 

美空ひばりさんは笠置シヅ子さんの「東京ブギウギ」などを歌っていたようですが、どうして不仲で対立していると言われたのでしょうか?

 

ここでは笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバかった!不仲や対立の真相とは?について調査してみました!

ブギウギについてもっと詳しく!

 

笠置シヅ子と美空ひばりの関係は?

笠置シヅ子さんと美空ひばりさんが出会ったときは大人と子供だったので、不仲というよりかは「憧れの先輩」と「歌がうまい可愛い少女」といった関係だったようです。

 

1948年(昭和23年) 美空ひばりさんは横浜国際劇場の前座笠置シヅ子さんの「セコハン娘」を歌ったことがきっかけで、横浜国際劇場の準専属歌手に任命されました。

美空ひばりさんの初代マネージャーはもともと横浜国際劇場の支配人だったのですが、美空ひばりさんを見て支配人を辞め、美空ひばりさんのマネージャーに就いています。

 

美空ひばりさんの初代マネージャーは「ベビー笠置」「豆笠置」と笠置シヅ子さんの人気に便乗して美空ひばりさんを売り出しはじめました。

美空ひばりさんの横浜国際劇場の前座から半年後、美空ひばりさんと笠置シヅ子さんは初めて対面しています。

笠置シヅ子さんは自分の歌を歌う美空ひばりさんを可愛がっていたし、自分に便乗して売り出すのも気にしていなかったそうです。

 

笠置シヅ子さんはこの頃の美空ひばりさんの人気について「子供と動物にはかないませんわ」とコメントを残しています。

 

笠置シヅ子と美空ひばりは不仲で対立していた?

それでは笠置シヅ子さんと美空ひばりさんはいつから不仲で対立していたのでしょうか?

笠置シヅ子さんと美空ひばりさんが対立していたというよりも、彼女たちの関係者が「スターの座争い」をはじめて巻き込まれたようなものだと思われます。

ここからは笠置シヅ子と美空ひばりは不仲で対立していた?について調査してみました。

不仲と言われた理由①美空ひばりへの圧力?

1949年(昭和24年)美空ひばりさんが日劇に初めて出演することが決まりました。日劇は美空ひばりさんにとって憧れのステージだったと言われています。

美空ひばりさんはデビューしたばかりで持ち歌が少なく、当時大人気だった笠置シヅ子さんの新曲「ヘイヘイブギ―」を日劇で歌いたかったようです。

 

しかし笠置シヅ子サイドから新曲「ヘイヘイブギ―」の許可はおりず「東京ブギウギ」だったらOKという返事がきました。

笠置シヅ子サイドからすると、新曲「ヘイヘイブギ―」が美空ひばりさんの曲だと思われれることを避けたかったようです。笠置シヅ子さんの曲全部をNGにしたわけではありません。

 

しかし美空ひばりさんは「東京ブギウギ」の練習をしていなかったため、うまく歌えなかったと楽屋で泣いたということがメディアを通して広まってしまいました。

世間から笠置シヅ子さんは、このように言われたそうです。

笠置シヅ子はわざとステージ直前に曲を変えたんじゃないの!?

 

笠置シヅ子さんにとってイメージダウンとなる噂が流れてしましたが、

悪いうわさが流れてもどうにもならない

と笠置シヅ子さんは割り切ったんだとか。

その後も笠置シヅ子さんは悪い噂が流れても何もしなかったと言われています。

 

そして笠置シヅ子さんがイメージダウンとなる噂は美空ひばりサイドの戦略だったのではないかとも言われていたそうです。

美空ひばりさんの母・加藤喜美枝さんは、美空ひばりさんをスターにするためにカメラアングルまで口を出したと有名なステージママです。

 

美空ひばりさんの自伝のほとんどは母・加藤喜美枝さんとライターが執筆したと言われていています。

美空ひばりさんの自伝には「大好きだった笠置シヅ子さんに睨まれるようになった」などじわじわと笠置シヅ子さんのイメージが悪くなるようなことを載せていったという声もあるようです。

「川の流れのように」は美空ひばりさん自身が書いた自伝のようですよ!

 

美空ひばりさんの初日劇は失敗したようですが、2カ月後の映画「悲しき口笛」が大ヒットして主題歌を45万枚を売り上げています。

美空ひばりさんは12歳で誰もが認める国民的スターとなりました。

不仲と言われた理由②アメリカ興行

1949年(昭和24年)ころ、芸能人がアメリカ興行に行くとハクが付くみたいなところがあり、芸能人のアメリカ興行が流行りました。

笠置シヅ子さんもアメリカ興行に行く予定でしたが、美空ひばりさんが笠置シヅ子さんよりも1ヵ月早くアメリカ興行へ行くことが決まったのです。

 

美空ひばりさんのアメリカ興行が笠置シヅ子さんよりも1か月早くなったのは、笠置シヅ子さんのマネージャーの裏切りが関係していたと言われています。

最愛の夫吉本穎右さんから紹介してもらったマネージャー山内義富さんでしたが、笠置シヅ子さんのお金350万円を使い果たしてしまいました。

こちらもチェック>>笠置シヅ子の結婚した夫との結婚秘話が号泣!

 

当時の350万円は現在の2500万ほどで、マネージャー山内義富さんはギャンブルにはまり多額の借金があったようです。

 

マネージャーがお金を使い果たしてしまったために、笠置シヅ子さんは財産全てを失いました。

 

さらに笠置シヅ子さんのマネージャーの山内義富さんは美空ひばりのマネージャーに笠置シヅ子さんのアメリカ興行の予定を教え、1カ月早く行くように勧めたらしいです。

笠置シヅ子さんと山内義富さんは家族ぐるみの付き合いでしたが、マネージャーを解雇しています。

 

マネージャーの裏切りによって美空ひばりさんが先にアメリカ興行に行くことになりましたが、笠置シヅ子サイドは著作権協会を通して美空ひばりさんが笠置シヅ子さんの曲を歌うことを全面禁止にしたそうです。

美空ひばりさんはまだ持ち歌が少なかったので困ったそうですが、笠置シヅ子さんの歌が美空ひばりさんのものだと思われないために笠置シヅ子サイドは必至だったのだと思われます。

 

美空ひばりさんは後に「先に歌われたら困るのはあたりまえ」と笠置シヅ子サイドの対応に理解を示したそうです。

 

笠置シヅ子と美空ひばりは和解できたのか?

1951年に笠置シヅ子さんは美空ひばりさんとNHKで共演して一緒に東京ブギウギを歌っていますが、演出のみで本当に和解できてないと言われています。

結局、笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの共演は2回のみで、あまりの少なさに世間では不自然だと思われたそうです。

 

おそらくきちんと和解したと思われていないので笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバいとか不仲だと今でも言われるのでしょうね。

 

徐々に笠置シヅ子のブギは陰りを見せて、美空ひばりさんの感傷的な歌が大人気となっていきました。

 

1956年、笠置シヅ子さんは第7回紅白歌合戦で大トリを務め「ヘイヘイブギー」を歌ったのを最後に翌年歌手を引退しています。

そして笠置シヅ子の晩年や死因を調査!の記事で詳しく書きましたが、笠置シヅ子さんは女優として活躍されました。

 

1957年の第8回紅白歌合戦では美空ひばりさんが大トリを勤めています。

寂しいですが、こうやって音楽の時代が移り変わっていくのでしょうね。

ブギウギについてもっと詳しく!

 

笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバかった!不仲や対立の真相とは?まとめ

笠置シヅ子と美空ひばりの関係がヤバかった!不仲や対立の真相とは?についてまとめてみました。

  • 笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは初めは不仲ではなかった
  • 笠置シヅ子さんと美空ひばりの関係者達が不仲で対立していたと思われる。
  • 美空ひばりさんへの圧力はあったようだが、笠置シヅ子さんの曲を守るためだったと思われる。
  • 笠置シヅ子さんと美空ひばりさんのアメリカ興行はマネージャーの裏切りによって問題が起きた
  • アメリカ興行で笠置シヅ子さんの曲を全部禁止にしたのは事実だが理由があると思われる。

笠置シヅ子さんも美空ひばりさんもどちらも超売れっ子だったので、関係がヤバい!不仲だと言われるようになったのでしょうね。

タイトルとURLをコピーしました