牧野富太郎の逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!? | 毎日がエブリデイ!

牧野富太郎の逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!?

牧野富太郎の逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!? ドラマ
この記事には広告が含まれています。
この記事には広告が含まれています。
スポンサーリンク

2023年の朝ドラ「らんまん」が高視聴率をキープしていますね!

朝ドラ「らんまん」は植物学者の牧野富太郎さんがモデルになっているのですが、朝ドラの「らんまん」は牧野富太郎さんの生い立ちを少しキレイに変えて朝ドラにしているみたいですよ。

 

実際の牧野富太郎さんはもっと破天荒だったという逸話があるみたいなんです!
本当の牧野富太郎さんはどんな人だったのでしょうか。

 

ここでは牧野富太郎さんの逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!?についてまとめてみました!

「らんまん」についてもっと詳しく!

\【らんまん】は1話から見放題配信中/

U-NEXTなら31日の無料トライアルあり!

朝ドラ【らんまん】を今すぐ視聴する

▲▲トライアル期間に解約で完全無料▲▲

 

牧野富太郎はどんな人だった?

朝ドラ「らんまん」のモデルになって一躍時の人となった牧野富太郎さん。
本当の牧野富太郎さんはどんな人だったのでしょうか?

ここでは朝ドラ「らんまん」との違いはどこ!?牧野富太郎さんはどんな人だったのかについて調査してみました!

牧野富太郎の幼少期

朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルである牧野富太郎さんは文久2年(1862年)5月に高知県の佐川町で産声をあげました。

文久は江戸時代になります。大政奉還など日本が大きく変化する時代に生まれたんですね。

 

高知県の佐川町は酒造りで盛んな町で、牧野富太郎さんの実家も造り酒屋の「岸屋」を営んでいました。

商家に生まれた牧野富太郎さんはどちらかというと裕福な暮らしだったようです。

 

しかし牧野富太郎さんは3歳で父親が他界、5歳で母親を亡くしています。
牧野富太郎さんのご両親は流行り病のコレラで亡くなったと言われています。

 

本来なら跡継ぎの牧野富太郎さんが「岸屋」を担っていかないといけないのですが、牧野富太郎さんが幼過ぎた為、牧野富太郎の祖母が「岸屋」を経営していました。

 

岸屋の跡取りには勉学も必要ということで牧野富太郎さんは10歳から私塾「名教館(めいこうかん)」に通うことになります。

名教館(めいこうかん)では算術、地理、物理学、英語等を学び、富太郎さんはスポンジのように知識を吸収していったようです。この頃(10歳)にはすでに牧野富太郎さんは植物に強い興味を持っていました。

ここまでは朝ドラ「らんまん」とほとんど同じね。

岸屋は朝ドラ「らんまん」の峰屋のことね!

しかし名教館は廃止となり、牧野富太郎さんは12歳から佐川にある小学校に通うことになります。当時は12歳でも中学校ではなく小学校だったようです。

名教館で様々な勉強をしてきた牧野富太郎さんにとって小学校はレベルが低すぎたようで、2年で自ら退学しています。造り酒屋を継ぐのに勉学はそんなに必要ないとも思ったそうです。

牧野富太郎さんも懐中時計を分解しちゃったらしいよ!

朝ドラ「らんまん」と同じだね。

牧野富太郎の青年期

牧野富太郎さんは小学校を自主退学した後も「重訂本草網目啓蒙」を購入して、草花の研究を続けました。

「重訂本草網目啓蒙」は当時はとても高価な本で、牧野富太郎さんは商家の息子だったから購入できたのではないかと思われます。

小学校を中退した牧野富太郎さんですが、知識が豊富なことは知られていたので小学校教員の話が舞い込んで来たようです。

牧野富太郎さんは小学校の代用教員として勤めることになったのですが、もっと勉強がしたくなり2年で小学校教員を辞めています。

 

牧野富太郎さんは再び入塾し、漢字・植物・地理・天文学の勉強をしたらしいのですが、やはり植物の勉強がしたくて東京に行くことを決意したそうです。

 

明治14年(1881年)に牧野富太郎さんは東京へ行き植物の資料や顕微鏡を買ったことが分かっています。(牧野富太郎19歳)

明治17年(1884年)に牧野富太郎さんは2度目の上京をして、東京に長期滞在しています。(牧野富太郎22歳)

朝ドラ「らんまん」でも2回東京に行ってたね。

顕微鏡も買ってたよ!

牧野富太郎さんの生活費や勉学に必要なお金は実家から送ってもらっていたと思われます。

牧野富太郎の壮年期

明治20年(1887年)に「岸屋」を取り仕切っていた牧野富太郎さんの祖母が亡くなりました。

牧野家の長男である牧野富太郎さんが岸屋を継いでいくのが当時の流れとして当たり前のことだったのですが、牧野富太郎さんは「岸屋」の経営を従妹の「お猶(なお)」と「井上和之介」に任せています。

 

お猶さんは朝ドラ「らんまん」の綾のモデル、井上和之介は竹雄のモデルになっていると言われていますよね~

竹雄のモデルは誰!?の記事に詳しく書かれていますが、お猶と井上和之介はとても良い関係になっています。

朝ドラ「らんまん」のネタバレになってしまうかもしれませんね!

 

「岸屋」の経営をお猶と井上和之介に任せた牧野富太郎さんは26歳で学術書「日本植物志図鑑」を発刊。

28歳で牧野富太郎さんは寿衛子(17歳)と結婚したと言われています。
牧野富太郎さんと寿衛子は11歳も歳の差があったんですね!

 

明治22年(1889)に牧野富太郎さんは大久保三郎さんとヤマトグサの学名を付けたらしいです。植物に学名を付けたのは日本で初めてのことだったらしいですよ。

 

牧野富太郎さんの研究費や家族の生活費はお猶にお願いして実家から出してもらっていたとのことです。牧野富太郎さんは所帯を持った後も「岸屋」からお金を送ってもらっていたのですね。

 

しかし牧野富太郎さんの唯一の資金源である「岸屋」の経営が悪化し、お猶から「もうお金は送れません!」と手紙が送られてきたそうです。

 

牧野富太郎さんはお猶からの手紙で生家「岸屋」の経営状況が悪いことを知り、お金を工面してもらっていたことに謝罪したそうですよ。

 

牧野富太郎さんと寿衛子の間には13人も子供がいたのですから、お金を送っていたお猶は相当大変だったと思われます。

 

資金源を失った牧野富太郎さんは東京大学の助手になりましたが、それでは大家族を養っていけないので寿衛子が小料理屋をはじめたそうです。

牧野富太郎さんの家に借金取りが来るようになり、借金取りの対応は寿衛子がしたそうですよ。この頃の牧野富太郎さんは極貧の生活だったようです。

 

大正12年(1923年)の関東大震災で牧野富太郎さんの家が被災してしまい、練馬区に引っ越したようです。このとき土地を用意したのは寿衛子だったらしいですよ。

 

牧野富太郎さんは周りの人々に支えられたので植物の研究に没頭できたのですね!

牧野富太郎の晩年

昭和2年(1927年)に牧野富太郎さんは周りの人に支えられながら博士号を取得しています。

新しく発見した笹には「スエコザサ」と和名をつけたそうですよ。このとき寿衛子さんは体調を崩していたようで翌年に逝去されています。

 

牧野富太郎さんは昭和14年(1939)に東京大学を辞めた後2500種類の新種・新変種の植物に名前を付けています。

「牧野植物学全集」「牧野日本植物図鑑」と続々と出版し、天皇にご進講したことも分かっています。

牧野富太郎さんは昭和32年(1957)94歳で逝去されました。

好きなことに没頭し好きな人と結婚できて素晴らしい生涯だったのではないでしょうか。

 

牧野富太郎の逸話がやばい!

実は牧野富太郎さんは2回結婚されています。

1回目は従妹の猶さんと結婚。
この結婚は牧野富太郎さんの祖母が「岸屋」の経営を二人に任せるために決めた結婚だと言われています。

当時、従妹と結婚するということはよくあったそうです。

朝ドラ「らんまん」では槙野万太郎と綾は結婚しなかったわ!

牧野富太郎さんは従妹の猶さんと結婚したのね。

牧野富太郎さんは猶さんと結婚している間に寿衛子と子を設けています。

それでも猶さんと寿衛子はとても仲が良かったようですよ。猶さんも牧野富太郎さんとの関係は割り切っていたのでしょうね。

 

そして祖母が亡くなった後、牧野富太郎さんと猶さんは離婚しています。

 

牧野富太郎さんは寿衛子と2度目の結婚した後、大好きな植物を研究するために岸屋の経営を猶さんと井上和之介に任せています。

 

牧野富太郎さんは猶さんに「岸屋」の経営を任せて仕送りまでしてもらっていたのですから、牧野富太郎さんは猶さんにはとてもお世話になっているのではないでしょうか。

牧野富太郎さんは新種の植物にお世話になった猶さんの名前をつけたのか気になるところです。

こちらもチェック⇒綾のモデルの末路が意外!?岸屋はあの幕末剣士のもとへ!

「らんまん」についてもっと詳しく!

\【らんまん】は1話から見放題配信中/

U-NEXTなら31日の無料トライアルあり!

朝ドラ【らんまん】を今すぐ視聴する

▲▲トライアル期間に解約で完全無料▲▲

 

牧野富太郎の逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!?まとめ

牧野富太郎の逸話やどんな人か調査!破天荒でドラマと違いすぎ!?についてまとめてみました。

  • 【牧野富太郎さんは幼少期】知識欲が強く、10歳ころから植物に興味を持っていた。
  • 【牧野富太郎さんの青年期】実家から仕送りをしてもらいながら東京で植物の勉強をしていた。
  • 【牧野富太郎さんの壮年期】「岸屋」の経営を従妹の猶に任せて植物の研究に没頭していた。寿衛子と結婚した後も仕送りをしてもらっていた。
  • 【牧野富太郎さんの晩年】極貧でありながらも94歳まで植物の研究を続けた。
  • 牧野富太郎さんは猶と結婚しているときに寿衛子との間に子どもを作った。
  • 牧野富太郎さんは所帯を持った後も猶からの仕送りで生活をしていた。

朝ドラ「らんまん」の今後が楽しみですね!

タイトルとURLをコピーしました